萬松山泉岳寺は、慶長十七年(1612年)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うために創建しました。
寛永十八年(1641年)の大火によって伽藍が焼失しましたが、徳川家光により現在の高輪の地に再建されました。
赤穂浅野家の菩提寺でもあり、忠臣蔵の四十七義士の墓所としても知られています。
泉岳寺の書院は、義士たちが吉良邸討ち入りの翌日に立ち寄ったエピソードで有名な建物ですが、戦災で焼失したままになっていました。このたび開創400年記念事業として、書院の復興が決まり、再建が実現されました。
総木造平屋建の書院は、本格的な書院造りでありながら、近代的な設備を備えた現代の書院となっています。 |